すてきなおまんこ

 いっちゃう、とか、いっちゃった、とか、彼が呟くとき、ひどく悲しい気持ちになる。それはもちろん快楽とは別次元のお話である。
「いっちゃう」とは「いってしまう」ということで、「いっちゃった」とは「いってしまった」ということで。ああ、これほど悲しい言葉がこの世に存在するなんて。つまり、彼は、数分後(場合によっては数秒後)には、私の体内から「いってしまう」ということを言っているのだ。
 たぶんセックスのときの私は雑念のかたまりにすぎるのだろう。あまりの快感に、つい彼の背中に爪を立ててしまう、はずなのに、気づけばその爪が彼の皮膚にめりこんでくれることを祈っている。性器の挿入だけでは「ふたり」すぎるのだ。もっと、もっと「ひとり」に。
 そして彼の顔を見て申し訳なく思う。純粋さを極めると苦悶の表情になるのだな。それほどまで彼は快感に忠実に腰を振っているのだ。彼の額から流れ落ちた汗が私の腹に落ちる。悲しいような嬉しいような、喉がきゅんと締まる。そこで私はようやくセックスに戻っていくのだ。

 初めて月経が来たときは随分と自分の性を恨んだ。初潮は腹痛を伴って私を襲ったのだ。洋式便器にほたほた落ちる血糊を見て、当時の私はほとんど呆然としていた。教科書では知っていたが、まさか本当に自分の「おしっこをする場所」が血を流すとは思ってなかった。しかもこの痛みはなんだろう。吐き気と下痢が同時にきたような、今までに経験したことのない。
 どうしてこんなグロテスクなことが起こるのだろう。どうしてこれなしで体の仕組みを維持できないのだろう。せっかくの血をこんなに流して、なんて無駄な機能。女であることと性器とを同時に嫌になった瞬間だった。
 しかし流れ続ける血と痛み続ける腹をほったらかしにしておくわけにもいかない。おずおずと母に申し出ると、彼女は「おめでとう」と喜んだ。ちっともめでたくないと小学生の私は思った。
 かと言って男性器もどうだろう。風呂上りの父の股間はだらりと伸びきり、余計なものが不自然にくっついているようにしか見えなかった。足の付け根にあんな異物があったら、動作に不自由するのではないか。あそこはつるりとしているほうが、造形的に自然なのではないか。
 しかも教科書によるとあれは「た」ったりするらしい。硬くなって大きくなるなんて、ますます異物になるとしか私には思えなかった。

 疲れ果てたのか、セックスが終わってすぐに、すこやかな寝息を立て始める彼。
 胸に巻き付けていた腕をほどき下腹部にそっと移動させると、さっきまであんなに張り切っていたペニスが今やちっちゃくて弱々しくてふにゃふにゃな物体に成り果てていた。この子まで眠っちゃってるのね。愛しさが胸いっぱいに満ちて手のひらでそっと包み込んだ。
 なによ、内臓さらけだしちゃって。いたいけすぎるじゃない。
 こんな脆弱なものが、ふとしたきっかけでかちかちになるのだ。それもこれも私に挿入するため。そう思うと泣きそうになって、思わずキスしたくなる。
 そしてそれを受け止めることができる私の膣。硬くなった彼を優しく包み込める器官を持つ自分を誇らしく思う。確かに月経はうっとうしいけれど、でもそれがあるから、私は彼と少しでも「ひとり」になれるのだ。
 私の中でこの脆弱は一体どうしていたのだろう。そう思いながら手に力を入れると、彼が小さく身じろぎした。
「ごめんね」
 囁いても返事がないのがおかしくて、力を入れたり緩めたりを繰り返してやる。ペニスはみるみるうちに大きくなるけれど、彼の寝息は規則正しいまま。
 これが私に入って私を気持ちよくさせる。そしてその時彼もまた気持ちがいいのだ。そう思うに至って、ようやく「ふたり」が「ひとり」になれた気がする。ペニスと膣は確かに他のもので、私達をつなぐのは快感というラインなのだ。
 人間はよくできている。そう実感しつつ眠りに入ることができる夜ほど幸せなものはない。腕を元の位置に戻して私はゆっくりと目を閉じた。


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