ペット
仕事帰りに時間をもてあまして、ふらりカフェに立ち寄る。
見た目ばかりで座り心地の悪いソファーに低すぎるテーブル。耳にひっかからない程度に囁くボサノヴァと、まずいとは言わないが値段には見合わない紅茶とカクテル。
そしてこういう空間に存在することそのものがアイデンティティである、流行の服を着た人々の談笑。
普段だったら鼻につく種類の店ではあるが、しかし今の私にはこういうテンプレート的なものこそ優しいのだから、仕方がない。例えばこういう場所で村上春樹を読めば、私はすぐにでも望んだ異界へと運ばれることだろう。
確かにこの仕事を始めたばかりのころは、いつか自分のために、最高のブーケを作り上げるつもりでいた。
そのためにどんな花を使って、どんなアレンジをするか、いろいろ空想しては楽しんでいた。
しかし私の恋人たちは、みんな、その夢を打ち砕いていったのだ。要は私を捨てていったということなのだが。
自分のブーケを作るはずの指先が、他の女の笑顔のために、じわじわと荒れていく。
この醜い指で男の腹をなぞったとき、果たして笑ってもらえるだろうか。そうやって笑ってくれる男を待ち続け、いつしか私そのものまで醜くなっていくような錯覚しか抱けなくなって、もう、久しい。
ペットを拾ったのは、そんなある日のことだった。私は今、上っ面だけのカフェで、彼の帰る時間を見計らっている。
待つなんてもう、したくない。だから私はペットを自分の家に住まわせるのをやめ、自らが彼の家にもぐりこむことを選んだ。でも結局、こうやって無駄な金をはらって、品のないアイスティーを飲むはめになっている。
研究室の飲み会なんだ。そう呟く彼に、適当に小遣いを渡した。帰りがいつになるの、とは、どうしても聞けなかった。
彼を縛りたくない、からではない。自分が縛られたくない、からだったはずだ。
なのに、なんなのだろう。このソファーはこのボサノヴァはこの村上春樹は。
私の軽薄なペットは今ごろ軽薄に酒を楽しんでいるに違いない。タピオカが入ったアイスティーを床に叩きつけたくなる衝動をぎりぎりで抑えた。男を飼う女の形式を、私は忠実になぞらえるべきだから。
「飽きたら、出て行くから」
私がそう言うと、きまって彼はきょとんとした。確かにペットは、そうでなくてはいけない。
私は彼に一切自分の素性を教えなかった。彼もまた、それについて問おうとしなかった。確かにペットと飼い主は、そうでなくてはいけない。
愚かなペットは荒れた指先を許すどころか、そもそもそれに気づきさえしないのだ。
それがテンプレートだ。形式美だ。マスコミやら文学やら音楽やらが私たちに教え込んだ、冴えたやり方のひとつだ。
飼い主としてはペットに毎晩セックスを強要すべきで、だから私はそうした。飼い主がペットの体のみ褒め称えるのもいい。だから私はそうした。
もうこれ以上何かを待つ女になるのは嫌だった。そうでないために一番賢いやり方を実行したはずだった。
ペットはやがて自分と飼い主とその関係とに疑問を感じ出す。
その無垢なふりをした瞳が、瞬間の嘘を隠し切れなくなっていく。
飼い主もまたそれに気づく。だから余計に過剰なセックスを命じる。ペットは懸命にそれに応える。だから私はご褒美の小遣いを与える。
何か余計なものが生まれ出した予感、それを消し去る方法を教えてくれるものが見つからない。
ペットはどう思っている? 私の知ったことではないのかもしれない。でももうそれは確実に存在している。
私は待ち始めた自分に気づいてしまっているのだ。
昨日、ペットが大音量でかけていたレコードに癇癪を起こして、それらを全て捨てるように命じた。
意外に素直に応じたペットに、少しだけ安堵する。
慣れない癇癪のおかげで、彼の部屋のレコードは全て、ちょうど今このカフェでかかっているようなものばかりとなった。そうでなきゃ、と思う。そうでなきゃ、ならない。私たちは。
私は荒れた指先で太いストローをつまみ、アイスティーをタピオカごと飲み下す。グラスのふちに飾られたアルストロメリアは、どうしようもなく軽薄で、まるで私のペットみたいだと思う。
少し笑いかけ、ふと、そのアルストロメリアこそ、自分のためのブーケに使おうと思っていた花であったことを思い出したとき、荒れた指先が勝手にバッグの中の携帯電話を探り出していた。