あけましておめでとうございます

 担任は太ってぼさぼさパーマで鼻の皮脂腺が開ききっていて分厚い眼鏡で、要するにすこぶる醜かった。彼女に夫も子ども(しかも私と同じ歳!)もいると知ったとき、私はどうしてこんな女と生殖行為ができる男がいるのだろう、と、心底不思議に思ったものだ。
 そんな彼女が必死になっているのが、正月に某テレビ番組で行われる30人31脚であり、4月に新しい担任が発表され、我がクラスの担当が彼女であると知ったとき、私はとても暗い気分になったものだった。私以外のクラスメイトたちは、彼女が担任であるということの意味を掴みかねて、あいつ宿題とかあんまり出さないんだってよー、へぇー、とか、見当違いに喜んだりしていた。おめでたいやつらだ。私はたいてい同年代と気が合わないのだが、それはこういうときにこそ実感される。やれやれ。
 新春の30人31脚はけっこうだが、どうせだったら、志願者を募って、それでやるべきだ。体育が得意な、運動会でだけ輝くことができる、そんな自意識過剰な小学生たち。彼らは元旦早々テレビで放映されるという両親泣かせの茶番に、すぐさま立候補することだろう。彼ら親戚の元旦はビデオテープとともに、とても栄光に満ちたものになるに違いない。実際これまで彼女が担任であるという足かせを負ってきた子どもたちもそういう正月を送ってきているようであるし。
 私はそれを担任に申し出た。私はあまり体育が好きではないし、団体行動など憎んでさえいる。乾ききった運動場の砂。それは隣の児童の安っぽいズックにあっさりと巻き上げられ、私のスニーカーに容赦なく入り込む。私はその不快感ばかりに意識を囚われ、そして必ず転倒する。そう、私のスニーカーに砂を入り込ませた隣の児童たちをも巻き込んで。そんな私にたむけられるのは、膝小僧に貼り付けた絆創膏の端に真っ黒の接着剤を浮かせた児童たちと、そしてこの愚鈍で共産党な担任の、罵倒なのである。で、あるから、私はなるだけ冷静に、順序立てて、担任にクラス単位で出場することの愚かさと、志願者を募るメリットを説明したつもりだ。
 すると彼女は笑ったのだ。笑ったというのは正しくない。嘲った。元々からして彼女は、白くきめの細かい肌を持ち、一般より色素の薄い長い髪を持ち、二重で大きな瞳そして長いまつげを生やし、他の児童には気づかれない程度の質の良い服装をし、そのくせ成績の良い私のことを、どこかで憎んでいるフシがあったのだ。
「あら、水野さんは知らなかったのね」
 担任はすごく嬉しそうであった。
「この大会ね、規定で、『クラス単位でしか出場してはならない』って、そうあるのよ」
 そう言って、残念だったわね、と、声を立てて笑った。あまりにも大口を開けて笑うものだから、銀がびっしりかぶせられた奥歯まで丸見えであり、私はますます不愉快になった。
 これ以来、私は担任に執拗に気をかけられるようになった。良い意味ではない、悪い意味でである。世間ではこれをいじめとか、そう表現するのだろう。私は8ヵ月半もかけて、この醜い教師にさんざんにいびられることになったのである。嗚呼、女の嫉妬の浅ましさよ。何よりタチが悪いのが、彼女がこれを「教育」だと信じて疑わなかったことであろうか。
 30人31脚の練習中(それはクレイジーにも、早朝や放課後に行われることすらあった)、私は予想通りよく転倒した。それはまさに担任の思う壺で、そのたびに彼女は大げさに私の元にかけより、倒れた私の頭の上で爆笑した。
「ああ、本当に駄目な子だこと!!」
 すると、小学生にとって担任の声は神の声であるので、神の言ったことは絶対であるので、愛すべきクラスメイトたちは、彼女にならい、いっせいに「駄目な子だ」「駄目な子だ」大爆笑するのである。それはもう本当に楽しげに。
 そして私の悪いところは、それを素直に悔しく感じることであった。明らかに自分よりおろかなる存在たちよりぶつけられる侮辱を笑ってやりすごす余裕を、私はまだ持ち合わせていなかった。
 それでどうしようもなく涙を流してしまう。涙を流すことそのものが悔しくて、それで余計に泣けてくる。嗚呼、悲しい悪循環!
 多分そんな私は、白い頬を朱にほんのり染め、透明のしずくをほとろほとり落とし、小学生どもにはわからないだろうが、担任から見ればひどく美しく、それどころか妖艶だったに違いない。なぜなら私が泣くと決まって彼女はますます激昂したからだ。
「弱虫はうちのクラスにはいりません! 水野さん、今すぐお家に帰って、そして、もう2度と学校に来なくていいわ!」
 望むところだ。泣きながらも私は素直に教室にランドセルをとりに行こうとする。すると担任はますます怒り狂い、無理やりに私の細い手首を掴むと私を小学生たちの列に戻そうとする。なぜなら「大会規定」とやらで「30人出場できない場合は、参加資格はありません」となっているからであり、私のクラスは30人きっかりであるという担任にとっても私にとっても悲劇的な事実のせいであった。

 だから私は12月22日、団地の影から飛び出してきた軽自動車の前に身を投げ出してやったのだ。 それはちょうど右折しようと対向車がいないか確認しながら、のろのろと出てきた三菱ミニカ。私は電信柱の影でずっとタイミングをうかがっていた。死なない程度、しかし入院しなければならない程度、そんな絶好の(どんくさい運転の)車を待ちわびていたのだ。運転手であることの横山さん(主婦、39歳)には、本当に悪いことをしたと思っている。きっと私のせいできたるクリスマスディナーが台無しになってしまっただろうから。でも大会は天皇誕生日に行われるものだから、それで私はこの日を逃すわけにはならなかったのだ。
 今、私は病床にいる。私の過保護な両親たちは、お節とお年玉を仰々しく携えて、朝から見舞いに来てくれている。私たちはのんびりと気の抜けたテレビ番組を見ている。全国の小学生とその担任たちが泣いたり笑ったり忙しい、そのテレビ番組を。
「まゆみちゃん残念だったわね。まゆみちゃんもテレビに出られるチャンスだったのに」
 母がおっとりと、でも心から落胆した様子で、私に話しかける。
 私は、うん、本当に残念、などと、適当に答えておく。私の入院のせいで私たちの学校は出場不可になってしまった。きっと担任もクラスメイトも悔しくて悔しくて、もしかしたらこの番組を見てさえいないかもしれない。だが、そのおかげで私の新年はこんなにも穏やかなのである。
 嗚呼、幸福に満ちた新年。しかも心からそれを味わえて。私はたった10数年しか生きていないけれど、それでもこの幸福感は生まれてはじめての経験である。
「でもまゆみちゃんはこんなに頭がよくって、それに可愛いし、だからこんな番組に出られなくっても、きっと将来テレビに出るような人になるんじゃないかしら」
 点滴を回収しに来た看護婦がそんなお世辞を言うのに、両親は素直に頬を緩めた。なんて愛らしい素敵な大人たちであろう。こんな大人に囲まれて私は本当に幸せだ。
 ねえ、お父さん、お母さん。
 私はまっすぐに彼らを見据えて言った。
 あけましておめでとうございます。
「あけましておめでとう、まゆみ」
 年が明けることはこんなにも素晴らしい。たとえ前の年が苦渋に満ちたものだったとしても。新しい日は常に自分の力で形を変えることのできる、そんな不確かなものであるから。
 きたる不確定の連続に、私は心から祈りたいような、そんな気持ちでいっぱいであった。


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