ひとかわ

 顔中がただれた日はとても困る。私はそういうのが毎日なので、毎日困っている。顔一面が赤茶けて、とても外に出る気になれないし、鏡ももう何ヶ月か見ていない。
 そのせいで自然と学校を休むようになり、結局そのまま退学した。この生まれつきの病気のせいで私はめでたく中卒になったわけで、尚且つ就職のめども立たないわけで。引きこもりになるのって、こんなにも簡単だ。
 前髪をおろすと毛先が額に当たって痒いので、常にそれをヘアバンドでおさえている。それでも横の髪の毛がほほをいじめ続ける。
 あんまりうっとうしいので、ショートカットにしたこともあるが、たばねることのできない髪は、かえって暴れるものだと知り、今はざんばらに伸ばした髪を1つにくくっている。
 年頃の娘が当然興味を持つ化粧も全て私には毒でしかなく、服も下着もすべて木綿製。しかしそれも肌から吹き出すリンパによって、半日で黄色く固まるのだ。

 母は「薬」というものを嫌う女で、あれは石油のかたまりだし、体に悪影響しかない、と私を意地でも病院に連れて行こうとしなかった。
 その代わりに、と、やっきになって数々の民間療法を試させた。
 やれ、活性酸素を消去するお茶だの、体の自発的な治癒力を高める温泉だの。多分彼女はそれらに自ら稼いだパート代すべてどころか、結婚前からの貯金も費やしたと思う。しかしそれでも皮膚病は軽減することはなく、それどころかますます悪化しているようにも思えた。なのに母は半ば宗教じみた瞳で、そんな私に新たな健康食品を与えるのだった。

 私は母を憎んでいた。

 いくら副作用があろうが、この痒みこの荒れた肌が治るのなら、それに越したことはない。気の狂いそうな痒みに一睡もできずに過ごしたあまたの日々。乾いたリンパのせいで肌に張り付いたシーツやら下着やらを、ばりばりとはがすときの不快感! 今でも慣れることがない。そしてこれからも。
 私も一応年頃の娘なのだ。お洒落というものに人並みに興味がある。恋だってしてみたい。恋人と流行のお店に並んでみたい。そもそも学校にだって行きたい。級友とたわいないおしゃべりをしてみたい。
 いくら血をわけたとは言え、所詮、母は他人だ。私が苦しんでいるということ、彼女にはどうしたって身をもってわからない。それは、仕方のないことだ、そうわかってはいるけれど。
 でも彼女の主義主張の正しさを証明するためだけに、どうして他人である私が出自も定かでない民間療法にこの身を捧げ続ける必要がある? 彼女の娘として生まれてしまったがばかりに、この拷問に耐え続けなくてはならないのは、どう考えたって不公平だ。

 だから母がパートに出かけた隙、ついに私が皮膚科に行ったのは、むしろ自然な成り行きだったと言えるだろう。保険証とへそくりがキッチンの戸棚にあるのはわかっていた。外出したのは久しぶりだったが、思ったより他人の目は気にならなかった。それよりもこれから自らに起こるであろう変化にばかり、心奪われていたからだと思う。
 医者は私を見て、さすがに悲しげな表情をした。
「どうしてこんなになるまで放っておいたの?」
 でもこの薬を正しく使えば、びっくりするくらいすぐによくなるから。
 彼女はチューブに入った薬を何種類か私に示し、その使い方を事細かに説明してくれた。
 これは刺激が強いから、体用。これは弱めだから顔とか陰部とか。

 慌てて帰宅して、いつもどおり部屋に閉じこもった私は、早速そのチューブの中身を体中に塗りたくった。体全体がてらてらぬるぬるしたけれど、それも通過儀礼だと思えば、むしろ喜ばしかった。
 薬を何度も重ねると、それだけ早く治るように思える。なるだけすりこませようと、ごしごしこすりつけると、もろくなった皮膚がぽろぽろと崩れ落ちる。これで憎い肌と別れられる。それで、ますます強く、それをなすりつけた。ぽろぽろぽろぽろと皮膚が消しゴムのかすみたいに落ちていく。
 あっという間に床が真っ白になったけれど、それは喜びへの序章だと確かに思えたから。

 とりあえず一番症状が重い顔から皮膚をはがす。分厚いざらざらした皮膚が落ちると、その下にはつるつるした感触が現れた。そこを指先で撫でると自然に頬がゆるむ。
 ざまあみろ、ざまあみろ。母親よ。
 これで私も、人並みに……。
 ここでちょっと色気が働いた。私は薬を塗るのを中断して、ずっと棚の奥で裏返しにしていた鏡をひっぱりだしてきた。そしてせえの、でそれを覗いてみることを決める。

 鏡の向こうでこちらを見つめているのは、私の母にそっくりな顔をした少女だった。


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