×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。


 私を月まで連れてって




 深夜のインターホンにドアを開けるとサンタクロースが困り果てた顔をして立っていた。夫が夜勤だというのに、うかつにドアを開けた自分を呪った。
「お尋ねしたいんですが……」
 お馴染みの帽子を両手でくしゃくしゃしながら、おずおずと私を見上げるサンタ。
 よくよく見ると、私がホームヘルパー派遣されていた斉藤さんと驚くほど似ている老人だった。重度の痴呆で徘徊癖のある斉藤さん、ようやく特養に空きができ、挨拶する間もなくお引越しした、はずなんだけど……。
「……な、なんでしょう?」
 狼狽する私に、サンタはへの字眉で首をかしげた。
「吉谷さんって方の家、ご存知ないですかねぇ。私、そこの坊ちゃんにプレゼント持っていかなくちゃならないんですけど、住所を度忘れしちゃって」
 確かに吉谷さんはご近所で、小学校に上がったばかりの男の子もいる。けど、もし斉藤さんだったらそんなこと知らないはずだし、何より斉藤さんはこんなにしっかり喋られなかったじゃない。
 きっとこの人、吉谷さんのおじいちゃんか何かだ。私は首をぶんぶん振ってから、そぉっと答えた。
「……吉谷さんなら角を曲がった4軒目ですけど……」
 一瞬にして顔が輝くサンタ。私の手を強引にとって、ぶんぶん振り回す。
「ありがとうございます! ありがとうございます! 本当に困っていたので助かりました!! お礼と言っちゃなんですが、プレゼントを!!」
「ご遠慮させていただきます」
 とっさに断り文句が出た。あまりにも斉藤さんに似た顔が「ヘルパーは利用者から心づけをもらってはいけません」という規則を連想させたからかもしれないし、単純に知らない老人から何かもらうのが気味悪かったからかもしれない。
「そんなことおっしゃらず……ほら、1年間良い子にしてたら誰でももらえるものなんで、気楽に構えてくださいよ」
「今年は何度か信号無視してます」
「……でも、でも、それだと私の気が済まないんです」
 食い下がるサンタ。
「しつこいですね。大きな声出しますよ」
 すごんでみる私。
「そんなご無体な。ほら、家具でもAV機器でもなんでもご用意できますよ」
 こうなったら押し売りと変わらない。それなりの対応をするしかない。私は今も汗して働いているはずの夫を思った……つまり、早朝まで帰ってこられない夫を。これはとっとと適当なお願いをして退散してもらったほうが安全そうだ。
「なんでもご用意できます」はさすがに嘘だろう。でも、できれば形として残らない物がいい。かといって食べ物なんかもらっても気持ち悪い。……そこまで考えて、ふと思いついた。
「じゃあ、私のために、1曲歌ってくださらない?」
 サンタはきょとんとした。
「この歌歌える? ……『Fly Me To The Moon』」
 すると彼はひどく得意そうに笑ったのだ。
「十八番です」

 斉藤さんは若いころから欧米の音楽を好む洒落た方だったという。
 彼は痴呆が進行しても音楽に対する愛だけは失わなかった。週に2度訪れる私に毎回毎回かすれた喉で歌ってくれたのだ。
 そう、「Fly Me To The Moon」を。

 サンタの歌はお世辞にも上手じゃなくて、でもとてもとても楽しそうで、聴いているこっちまで幸せな気分にさせる……斉藤さんにそっくりな歌い方だった。
 歌いきって、ふうと息をつくと、「そんなに時間もありませんので、そろそろ私、お暇させていただきますね」サンタはにっこりした。
 そして彼は帽子をかぶりなおし、慣れた仕草でひゅうっと指笛を吹いた。続いて、上空からシャンシャンシャンと聞き覚えのある音が降ってきたように思えた。

 ――その後見た光景を、私は未だ信じられずにいる。

 音に導かれ、顔を上げた私の目に映ったのは、まぎれもなく「トナカイに轢かれたそり」だったのだ。
 そりは音もなく庭に着陸した。サンタは慌しくそれに乗り込むと、手綱を大きく1度振った。それに応えてトナカイが足を掻き、そりが再びふわりと浮かび上がる。
 驚いて立ちすくんでいる私に、サンタは斉藤さんそっくりな顔でウィンクしながら叫んだ。
「メリークリスマス!」
 私が唖然としている間に、そりは見た目よりずっと速いスピードで、ちょうど月の方向へ上昇していった。煌々と光る月にやがてシルエットとなり、それもまたどんどん小さくなっていく。
「Fly me to the moon……」
 思わず呟いたのとちょうど同じ瞬間、サンタクロースの影は見えなくなった。

 次の朝、斉藤さんが亡くなったと会社から電話があった。私は案外冷静にそれを受け止めた。
 電話を切り、中断した朝食作りを再開しつつ、試しに「Fly Me To The Moon」を口ずさんでみる。
 しかし斉藤さん直伝のそれは面白いほど調子っぱずれで、仕事帰りの夫に「音痴」とからかわれるはめになってしまった(その後夫をポカッとやったのは言うまでもない)。




 TOP  過去ログTOP